福石社神事
境内末社の福石社の神事で「福石おこなひの式」といわれる。
板木(はんぎ)で作られた御札を柳の枝二本でススキの穂、榊の葉と共に 挟み、神前に供える。
これを「牛王杖(ごうずえ)」と称し、祈祷後家に 持ち帰り、苗代田の水口に挿し立てておけば、蝗(イナゴ)などの虫害を防 ぐことが出来るという農業神事である。
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福石神にまつわる昔話
むかし、むかし和田村(堺市和田)にたいそう夫婦仲のいい お百姓さんが住んでいました。
二人は働き者だったので、どこの田んぼよりも たくさんのお米が取れていましたが、
この家には貧乏神が住み着いていたので 暮らしはいっこうに楽になりませんでした。
「どうかここから出ていって もらえんやろか」
「阿保ぬかせ。昔から住んどる貧乏神じゃ。山ほど米がある のに誰が出ていくかい」
いくら二人が頼んでも聞き入れてもらえません。とうとう夫婦は力ずくで 追い出そうと
貧乏神に飛びかかりました。
ところがこの貧乏神は、そこらのや せ細った貧乏神と違って栄養満点で丸々と太っていたので、どうにもかないませんでした。
そこで女房は、着物をさっと脱ぐなり、七色もあざやかな波模様の腰紐を 貧乏神の前に
突き出しました。さすがに貧乏神も目がくらみ、力が抜けて しまいました。神様も色香には弱かったのでしょう。このすきに二人は 貧乏神を押え込んでしまいました。
「俺も好きで貧乏神に生まれとうはなかった。何の因果か。らいせいは 福の内といわれる神様に生まれ変わるでな。ほな、さいなら」
といって丸い石となって消えていきました。
その後、この福石のおかげでお百姓さんはみるみるうちに村一番の長者 になりました。
夫婦はこの福を自分たちだけが授かったのではもったいない と思い、
この福石を多治速比売神社に寄進したということです。
今でもこの石は、福石として大切に祭られています。