多治速比売神社-荒山宮(こうぜんのみや)-由緒


当神社は和泉国大鳥郡の延喜式内社二十四座のひとつで、西暦580年頃の御創建と伝えられ ている。
明治初年までは総福寺と併存した神宮寺であったが、神仏分離の際神社のみとなった。
現在の本殿は室町時代の建造物(天文年間1539年〜1541年に再建)で国の重要文化財に指定されている。

主祭神は多治速比売命(たじはやひめのみこと)で女神として厄除・安産・ 縁結びの神として崇敬が厚く、また本殿には素盞嗚尊(すさのおのみこと)・ 菅原道真公も合わせて祀られ、特に道真公は学問の神(天神様)として厚く信仰されている。

境内には十三の末社【坂上社(式内社)、鴨田社(式内社)、大神社、住吉社、天照社、八幡社、春日社、 熊野社、白山社、弁天社、稲荷社、福石社、水天宮】があり合わせて荒山宮 (こうぜんのみや)とよばれている。

なお、昭和三十八年に泉北ニータウンの造成計画に伴い、由緒ある当神社のご神威をさらに発揚すべく 境内の整備、拝殿・参集殿等の大改築を行い現在に至った。

当時社有地の大部分は住宅、公園用地として買収され、神社周辺は堺市の公園として荒山公園 (こうぜんこうえん)と名付けられ、そこには「花の名所づくり」の一環として 市により梅林が整備され、約1,340本の梅が植樹されている。

当神社は荒山公園の中心として緑の森に囲まれ、春は梅・桜・山つつじ、夏は青葉、秋は紅葉、 冬は木々に積もる雪景色と四季折々の眺めは言わん方なく、遠く望めば東に金剛・葛城の連峰 南に和泉葛城の連峰 、西には茅渟海に浮かぶ淡路島と壮大な姿が展開され自然に恵まれた景勝 の地となっており、年間を通じて参詣者が絶えない。


高山(こうぜん)縁起

第六巻中の当神社古図並びに本記拾遺(永正15年)



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